1546恩根内到着。地元町会と美深町との話し合いで廃止は免れるという情報だが、
この駅は2度目の訪問。
初訪問は11月の夜だったのだが、待合室に暖房が入っていたことに驚愕、その事実をしてどちらかといえば町の駅という感覚だったので以後訪問していなかった。
このあと1724の4329Dで豊清水へ。
この駅の列車訪問は4回ほどだったか。廃止の報道がでるまえにも一度同業の方にあったことある、人気の駅だったが今回は同業合計4名が一緒に下車した。
駅前は廃屋となっていてだれも住んでいないのだが、実は1kmほど南側に集落が残っている。いわば雄信内だとか安牛だとか、生活が鉄道と離れている状態だ。
日が暮れた1810 4328Dで北星駅へ。
降りたとき同業の方にあった。まさかの駅泊をされるとか。そういえばいわゆる秘境駅を色々廻ってきたが、駅ノートでもちらほら見てきたが、本物の駅泊者に出会ったのは初めて。関西からやってきたその若者は1か月近く旅を続けていた。青春真っ盛りの旅を続ける若者がいたことに、時代が変わっても人が変わったわけではない証を見つけたような気がして嬉しかった。
北星はお気に入りの山の中の板張り駅、列車訪問だけでも10回近くになるだろう。
北海道の旅を企画する旅に無理やり行程に北星駅訪問を組み込んでいた。
今回の旅目的は「挨拶」だが、もしかしたらまた雪の北星駅に会いに行くかもしれない。
北星に挨拶をして、1945の4333D 音威子府行に乗車、音威子府からサロベツ3号で稚内まで移動した。